東京地方裁判所 昭和41年(ワ)7224号 判決 1968年9月06日
原告 株式会社内藤
右訴訟代理人弁護士 村下武司
同 石川幸吉
被告 大和信用組合
右訴訟代理人弁護士 有賀正明
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(申立)
一、原告
被告は、原告に対し、金一、三四五、八〇七円およびこれに対する昭和四一年七月一五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決および仮執行の宣言を求める。
二、被告
主文同旨の判決を求める。
(主張)
一、請求原因
(一) 訴外株式会社城南商会(以下、単に訴外会社という。)は、昭和四〇年一〇月一二日、被告に対し、昭和三八年七月三日取引開始し、昭和四〇年九月一三日その残高となった普通預金債権金四三九円(Aの預金)および左記定期預金債権五口合計金一、三四五、三六八円、以上合計金一、三四五、八〇七円の債権を有していた。右各定期預金の満期すなわち弁済期は、金一二二、六〇〇円の分が同四〇年一〇月六日(Bの預金)、金五〇〇、〇〇〇円の分が同年一一月一〇日(Cの預金)、金三六、六八四円の分が同年一二月一六日(Dの預金)、金五四〇、五三五円の分が同四一年一月一七日(Eの預金)、金一四五、五四九円の分が同年三月二八日(Fの預金)である。
(二) 原告は、訴外会社に対する東京地方裁判所昭和四〇年(ワ)第一一、三六一号約束手形金等請求事件の判決により訴外会社に対し、約束手形金三、四七〇、四〇八円およびこれに対する同四一年一月二七日から支払済みに至るまで年六分の割合による損害金の債権を有している。
(三) 原告は、右判決の執行力ある正本に基づき、訴外会社が被告に対して有する第一項記載の各債権について、同裁判所昭和四一年(ル)第二、三九〇号債権差押および転付命令事件において、債権差押および転付命令を得、右命令は、同年七月一八日、訴外会社に、同月一四日、被告に、各送達された。
よって、第一項記載の各債権はいずれも原告に移転したから、原告は、被告に対し、右預金合計金一、三四五、八〇七円およびこれに対する前記命令が被告に送達された日の翌日である同年七月一五日から支払済みに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二、請求原因に対する答弁
すべて認める。
三、抗弁(相殺の抗弁)
(一)(1)、被告は、訴外会社に対し、同三八年八月一七日、金二〇〇、〇〇〇円を、弁済期を同四一年七月二八日として貸し付け、さらに、同三九年一〇月二六日、金五〇〇、〇〇〇円(但し、その後、同四〇年三月二六日、金一〇、〇〇〇円の弁済を受けたので、金額は金四九〇、〇〇〇円となった。)を、弁済期を同四〇年四月二六日(但し、その後順次改訂されて、同年九月三〇日となった。)として貸し付けた。
(2)、被告は、別表割引日欄記載の日に、いずれも訴外会社の依頼により、同社が裏書をした、金額および満期をいずれも同表金額欄および満期欄記載のとおりとする、手形要件を具備した約束手形計一二通を割引いた。
(二) 被告は、同三八年一一月一八日、訴外会社と、訴外会社が左の一に該当した時は、被告から何らの通知、催告がなくても、(イ)、被告に対する貸金債務の全額について当然期限の利益を失い訴外会社は直ちに貸金債務全額を弁済し、また、(ロ)、割引を受けた全部の約束手形について、当然約束手形面記載の金額の買戻債務を負い、訴外会社は直ちに手形面記載の金額を弁済する旨を約した。
(1)、被告に対する債務のうち一つでも期限に弁済しなかったとき、
(2)、手形交換所の取引停止処分を受けたとき、
(3)、仮差押の申立を受けたとき、
(三) 訴外会社には、左の各号の事由が発生したから、前項各号の一に該当して、いずれもその該当した日に、第二項(1)記載の貸金債務につき期限の利益を失い、また同項(2)記載の各割引を受けた約束手形について買戻の効果が生じ、同表金額欄記載の金額の支払債務を負うに至った。
(1)、第二項(1)記載の金四九〇、〇〇〇円の貸金債務につき、その弁済期である同四〇年九月三〇日を徒過した。
(2)、訴外会社は、同年一〇月五日、東京手形交換所により、取引停止処分を受けた。
(3)、訴外会社は、同年一〇月一二日ごろ、原告により、仮差押の申立を受けた。
かりにそうでないとしても、各割引手形は、各満期に不渡となったから、遅くとも別表満期欄記載の日に買戻の効果が発生した。
(四)(1)、訴外内清隆は、同年一〇月二〇日頃、訴外会社のため相殺の意思表示を受領する権限を有していたから、被告は、右同日頃、右内清隆に対し、右貸金債権および約束手形買戻請求権をもって、原告主張の各預金債権と、対当額において相殺する旨の意思表示をした。
(2)、仮に右の主張が認められないとしても、被告は同四二年六月八日午前一〇時の本件口頭弁論期日において、原告に対し、右のとおりの相殺の意思表示をした。
(五)(1)、被告は、第三項記載の約定をなす際、さらに訴外会社と、取立その他の理由により約束手形の呈示・交付の省略がやむをえないと認められるときは、被告が訴外会社に対し、約束手形に関する債権を行使する際にも、当該約束手形の呈示・交付を要しない旨を約し、また、右相殺の意思表示をなす際には、右約束手形上の他の債務者に対する取立のために当該約束手形を要するから、手形の呈示・交付の省略はやむをえなかった。
(2)、仮に右の主張が認められないとしても、被告は、同四二年六月八日午前一〇時の本件口頭弁論期日において、第二項(2)記載の各約束手形を原告に呈示した。
四、抗弁に対する答弁
(一) 第(一)ないし第(三)項記載の事実は、第三(三)項(3)記載の事実を除きすべて知らない。第(三)項(3)記載の事実は認める。
(二) 第(四)項(1)記載の事実は否認する。
(三) 第(五)項(1)記載の事実は知らない。
五、再抗弁
(一) 原告は、原告を債権者、訴外会社を債務者、被告を第三債務者とする同裁判所同四〇年(ヨ)第八、一七三号債権仮差押申請事件において、原告の訴外会社に対して有する請求原因第(二)項記載の判決に表示された債権を保全するため、原告主張の各預金債権について、債権仮差押決定を得、同決定は、同年一〇月一二日、被告に送達された。
(二) 訴外会社は、抗弁第(二)項(1)記載の金四九〇、〇〇〇円の貸金債務のうち、同四一年二月二三日、金四〇六、〇〇〇円、および同年三月三一日、金七八五円を各弁済した。
六、再抗弁に対する答弁
(一) 第(一)項記載の事実は認める。
(二) 第(二)項記載の事実は否認する。
(証拠)<省略>。
理由
一、原告の被告に対する債権
訴外会社が、被告に対し、原告主張のとおり合計金一、三四五、八〇七円の預金債権を有していた事実および原告が、訴外会社に対し、原告主張のとおりの判決を有し、かつ、原告が、右判決の執行力ある正本に基づき、訴外会社が被告に対して有する右預金債権について、債権差押および転付命令を得、右命令が、原告主張のとおり、訴外会社および被告に送達された事実は、いずれも当事者間に争いがなく、右事実によれば、原告は、被告に対し、右預金債権合計金一、三四五、八〇七円を取得したことになる。そこで、次に、被告の相殺の抗弁について判断する。
二、反対債権
<証拠>を総合すれば、被告が同三九年一〇月二六日、訴外会社に対し、金五〇〇、〇〇〇円を、弁済期を同四〇年四月二六日として貸し付け、その後、同年三月二六日、金一〇、〇〇〇円の弁済を受けたので、残金は金四九〇、〇〇〇円となり、かつ、弁済期を順次猶予し、最後には同年九月三〇日となった事実を認めることができる。被告は昭和三八年八月一七日訴外会社に金二〇〇、〇〇〇円を貸し付けたと主張するが、<証拠>によっても右主張事実を認めるに足りず、その他これを認めるに足りる証拠はない。
原告は、訴外会社が、金四九〇、〇〇〇円の債務につき、同四一年二月二三日、金四〇六、〇〇〇円および同年三月三一日、金七八五円を弁済したと主張し、<証拠>には、その趣旨の記載が見られるが、<証拠>によれば、右記載部分は、現実に一部弁済のあった事実を記帳したものではなく、訴外会社の被告に対する定期預金債権と、右記帳の金額について相殺をした結果を記帳したものにすぎないことを認めることができるから、右乙号各証の記載部分によっても原告の右主張事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
<証拠>を総合すれば、被告が別表割引欄記載の日に、いずれも訴外会社の依頼により、同社が裏書をした、金額および満期をいずれも同表金額および満期欄記載のとおりとする手形要件を具備した約束手形計一二通を割引き、訴外会社に対価を交付した事実を認めることができる。
さらに、<証拠>によれば、訴外会社は、同三八年一一月一八日被告に対し、訴外会社が被告に対して負担する債務のうち一つでも期限に弁済しなかったときは被告から何らの通告・催告がなくても割引を受けた全部の約束手形について当然当該約束手形記載の金額の買戻債務を負い、直ちに弁済する旨を約したことを認めることができる。
手形割引の法的性質、すなわち手形の割引依頼人と割引人との間の法律関係は手形の売買であり、割引された手形の買戻の法的性質は手形売買契約の解除と解すべきである。一定の事由がある場合に、割引人が手形の買戻を請求(売買契約解除の意思表示)することによって、手形の売買契約が解除され、割引依頼人は割引人に対し、原状回復義務として手形金額相当の金員支払義務を負担するのが原則である。しかし、割引依頼人と割引人との間の特約によって、買戻請求の意思表示を要せず、一定の事由の発生により買戻を請求したと同様の効果を生じさせ、割引依頼人が割引人に対し手形金額相当の金員の支払義務を負担する旨を約することも、割引依頼人の利益を不当に害さない限り有効である。右の事実によれば、訴外会社は被告に対し、右のような特約をしたのであるが、この特約の効果の発生は、訴外会社が被告に対する債務のうち一つでも履行を遅滞したことである。訴外会社の履行遅滞は信用悪化の徴表であるから、このような場合に全割引手形について買戻請求したと同様の効果を生じさせ、被告をして当然割引対価請求権(手形面記載の金額の返還請求権)を取得させることは、必ずしも訴外会社の利益を不当に害するものではない。以上により右特約は有効であると解すべきところ、訴外会社が被告に対し、昭和四〇年九月三〇日を返済期とする金四九〇、〇〇〇円の借用金債務を遅滞なく履行したことについては主張立証がないから、訴外会社は右債務の履行を遅滞したものといわなければならない。そうすると前記特約の効果として、同日の経過により、被告が別表記載の全割引手形について買戻の請求をしたと同様の効果を生じ、訴外会社は被告に対し、同年一〇月一日を履行期日として別表金額欄記載の金員の支払債務を負担したわけである。
三、相殺適状と相殺の意思表示
原告が原告主張の預金債権について、債権仮差押決定を得て、その決定が昭和四〇年一〇月一二日被告に送達されたことは当事者間に争いない。そうすると右仮差押当時、受働債権たる預金債権のうちAの預金債権(普通預金債権であるから、預入れの日に弁済期が到来しているものというべきであるが、預入れの日を確知できないから、当事者間に争いない現残高となった昭和四〇年九月一三日に弁済期到来したものと認める。)とBの預金債権は弁済期到来しているが、C、D、EおよびFの預金債権は弁済期が到来していない。一方右仮差押当時反対債権である貸金債権および割引対価請求権の全ての弁済期が到来していたことは前認定のとおりである。そうすると仮差押当時、A、Bの預金債権と反対債権が相殺適状にあったことは明白であるが、その余の受働債者の弁済期は未到来だったわけであり、このような債権の転付を受けた原告に対し、被告は相殺をもって対抗することができるかという問題を生ずる。このような場合債務者として、差押がなければ、期限の利益を放棄して相殺することができたわけであるから、受働債権につき弁済期の到来を待ち、これと反対債権とを対当額において相殺することを期待する利益を有する。この利益を債務者の関知しない差押という事実によって奪うべきではないから、債権の差押当時債務者が債権者に対し弁済期の到来した反対債権を有している場合は、その後弁済期未到来の差押債権が譲渡された場合も、これと右反対債権との間をもって転付債権者に対抗することができるものと解する。
被告が、同四二年六月八日午前一〇時の本件口頭弁論期日において、原告に対し、前記貸金債権および割引対価請求権(別表金額返還請求権)をもって、原告主張の各預金債権と対当額において相殺する旨の意思表示をした事実は本件記録上明らかである。そして債務者が受働債権の譲受人に対し相殺をもって対抗する場合には、その相殺の意思表示は譲受人に対してなすべきであるから、転付債権者に対してなされた右相殺の意思表示は、有効である。約束手形買戻請求によって割引人が割引依頼人に対し取得する割引対価請求権は、手形売買解除による代金の原状回復請求権であること前記のとおりであるから、手形上の権利の行使と異なり、これが行使に手形の交付を必要としない。しかし、原状回復請求権であることにおいて、割引対価請求権には売買の目的たる手形の返還という抗弁権が附着している。しかし<証拠>によれば、訴外会社は昭和三八年一一月一八日被告に対し約定書を差し入れ、その第七条第一項で「期限の到来または前二条によって、貴組合に対する債務を履行しなければならない場合には、その債務と私の諸預け金その他の債権とを、期限のいかんにかかわらずいつでも貴組合は相殺することができます。」と約し、これを受けて第八条第一項で「私の債務に関して手形が存する場合、貴組合が手形上の債権によらないで前条の差引計算をされるときは、同時にはその手形の返還を要しません。なお、その手形は私が貴組合まで受領に出向きます。」旨を約したことが認められる。そして本件割引対価請求権による相殺が右第七条第一項にいう相殺または第八条第一項にいう差引計算に当ることは、右約定の文言に照し明らかであることから、訴外会社は被告に対し、右特約によって割引対価請求権をもってする相殺には、手形の呈示という同時履行の抗弁権を放棄したものと解される。よって手形を呈示しない右相殺の意思表示も有効である。
四、相殺の効果
被告又は原告は、相殺の意思表示について弁済充当の指定をしなかったから、法定充当の規定に従って充当が行われることになる。相殺の意思表示当時受働債権は全て弁済期が到来しているが、いずれの債権が被告にとって弁済の利益が多いかについて立証がないから、全債権とも被告にとって弁済の利益が同じものとして取扱い、弁済期の到来した順序によって法定充当を行う。そうするとA、B、C、D、E、Fの債権の順に相殺されたことになる。また反対債権も全て弁済期が到来しているが、いずれの債権が訴外会社にとって弁済の利益が多いかについての立証がないから、全債権とも訴外会社にとって弁済の利益が同じものとして取扱い、弁済期の到来した順序によって法定充当を行う。そうすると先ず金四九〇、〇〇〇円の貸金債権、次いで割引対価請求権の順に相殺に供されることになる。以上によると貸金四九〇、〇〇〇円の反対債権による相殺により、Aの債権は昭和四〇年九月三〇日に、Bの債権は同年一〇月六日に、Cの債権のうち金三七七、五六一円は同年一一月一〇日に消滅したことになる。次いでCの債権の残額一二二、四三九円とD・E・Fの債権がその順序で割引対価請求権と相殺されることになるが、後者は前者を超過する。しかし各割引対価請求権相互の間においていずれが訴外会社にとって弁済の利益が多いかについて立証がなく、かつ弁済期の到来はいずれも昭和四〇年一〇月一日であるから、民法第四八九条第四号の規定を類推して、反対債権たる割引対価請求権においては、受働債権に対する反対債権の割合に応じて相殺の用に供せられたものと解すべく、結局右受働債権は、それぞれその弁済期に相殺適状にあったから、同日消滅したことになる。
五、以上により原告主張の各預金債権は、すべて相殺により消滅したことになるから、結局、原告の本訴請求は失当である。
(裁判長裁判官 岩村弘雄 裁判官 原健三郎 江田五月)